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八、竜湾 竜泉鎮との別れ
竜泉鎮には都合5日間も滞在した。 楽しいひと時であったが、村の人々にとっては慣れない外国人にいろいろ気を遣ったことだろう。宿舎では滞在中、途中から隣の雑居部屋に、客が入った。行商か何かの人たちで、男だけの4、5人の客だった。莫超はその時、血相を変えて私のところへ来て、隣に客が入ったので多分うるさいと思う、としきりに謝るのだった。それから、貴重品はしっかり管理するようにと念を押した。本来、そのような客が寝泊まりするための宿である。却って楽しいよ、と言ったが、莫超はしょっちゅう、階上へ様子を見に来ているようだった。 良い意味か悪い意味か、中国の人は、日本人を「礼儀正しく、清潔好きで、気難しい」人々だと考えているようで、様々なところでそう言われたり、言葉や態度で感じることがある。それは時折、彼らを疲れさせるようだった。逆に私は私で、中国の人はこんな細かいことに気を使わない人たちだと思っていた。別に悪い意味ではなく、もっと大雑把で細かいことを気にしないイメージを持っていた。ところが、実際には突然現れた旅行客に対してでさえ、なるべく不便がないようにと何かと取り計らってくれるような人々なのだ。もっとも中国では個人の“倫理的”素質の格差がとりわけ大きい国であるとは以前から思っている。少数になったが、外国人とみれば平気で金をせびってくるような人だってある。これは、教育、とりわけ家庭の中での教育の格差の影響だろうと思う。日本との戦争だけでなく、その後の国内での長年に渡る大混乱が倫理観の荒廃を招いた結果である。それを立て直すには相当の時間がかかるだろう。
もう明日にはこの村を出るという夜、莫超と王義は、最後に一緒にシャワーを浴びよう、と言った。私たちはもう遠慮もなしに服を脱ぎ捨てて、遠慮なくシャワーを浴びながら、大声でおしゃべりできる関係だった。パジャマに着替えて、髪をドライヤーで乾かしながら、私たちは引きづづき部屋でおしゃべりをした。一度くらい一緒に食事に行けばよかった、と後悔した。普段、彼女たちは、おばあちゃんや叔母のいる母屋で食事をしていた。まだ若い二人は外に出て外食することなどほとんどないようだった。一度私が誘ったら、明らかに遠慮しているようだった。その代わり、朝や夕方には莫超か王義のどちらかが、家で作った煎餅や、トウモロコシ、アワのお粥、おやきなどを差し入れに持ってきてくれて一緒に食べることがあった。この家族には本当にお世話になりっぱなしだった。 王義は自分で作ったアクセサリーを私にプレゼントしてくれた。大ぶりのピアスで、ぶら下がっているのは水晶なのだそうだ。「水晶はね、病気や災難から守ってくれるのよ」と言った。莫超はあきれ顔で「そんなの、あげるの?それ本当に水晶なの?」とたしなめた。確かに大ぶり過ぎて、実際には使えそうもなかったが、気持ちが嬉しかった。 そこへ、「清子、明日帰るんだって?」と芳静がやって来た。もう会えないかもしれないと思っていたので、彼女の訪問はとても嬉しかった。彼女は「ああ、ああ、寂しくなっちゃうねぇ」とわざと年寄りみたいない言い方をした。そうして、今回滞在して満足できたか、見たいものは見れたか、と聞いた。私は、デジカメで撮った写真をパソコンで開いて見せた。莫超も王義も4人で寄り集まってパソコンの画面を見た。よく知っているはずの村のことなのに、写真でみるとまた新鮮なようで、「ここ、いい景色ね」とか「もう、この花咲いてた?」などと楽しそうに見入っている。村の人が映っていると芳静は、「ああ、これはあそこの娘だ」とか「これは某の家だね」などと言った。もしかすると彼女が鎮政府そのものなのではないかと思うほど、村の中のことを全て把握しているようだった。とても偉大な女性に見えた。そうして、一頻り写真を見てから、彼女は「次はさ、旦那さん連れて来るんだよ。楽しみにしているから」と言った。私は、本当にそうできたら面白いことになるな、と思った。 写真を見終わると、芳静はこんな提案をした。「明日の午前中、みんなで竜湾へ遊びに行ってきたら?」と。竜湾というのは、竜泉鎮の、幹線道路を挟んだ向かい側の山の上にある火山湖で、ちょっとした景勝地なのだそうだ。莫超も、王義も、「いいの?」と嬉しそうに同意した。案外、普段は自由な時間はなく、連れだって遊びに行くのは久しぶりなのだそうだ。芳静の素敵な提案で、私たちは解散し、明日の朝を楽しみにすることにした。
翌日、朝食を食べてから、莫超と一緒に米屋の方へ行ってみると、王義と芳静のかわいい一人息子文文が一緒に待っていた。その日は芳静の旦那さんが車を出してくれるという。かわいい文文も一緒に行くと聞いて私は更に嬉しかった。芳静は「待っているから、行っておいで」と私たちを見送った。 竜湾は、急な斜面を登っては行くが、本当にすぐ近くにあった。距離にして5㎞くらいだろう。竜泉鎮のこんなに近い所にこんなに素敵な湖があるとは全く知らなかった。竜湾はずっと昔の火山の噴火でできた湖で、もう少し整備すれば立派な観光資源になりそうだ。 私たちは文文も一緒に、その神秘的な湖の周りを散歩した。芳静の旦那さんは遠巻きについて来ながら私たちを見守っていた。私たちは、走ったり、くっついたり、自分たちの写真を撮り合ったりした。急にお花摘みに精を出したり、そうかと思えば互いに湖に落とそうとして脅かしたり、まるで子どものようにはしゃいだ。私たちはわけもなく何度もなんども抱き合ったり肩を組んだ。たった数日一緒にいただけなのに、莫超も王義も文文も私にとっては兄弟のような大切な存在になっていた。
竜湾を満喫して米屋へ戻ってくると、芳静がカウンターで事務処理をしながら待っていた。乗り合いタクシーが来るまであと30分ほどあった。この米屋のカウンターは竜泉鎮へ来て、芳静に初めて出会い、パスポートを検められたカウンターだ。その時は緊張していたが、今となってはとても懐かしい暖かいぬくもりのある場所だった。 カウンターの引き出しの中から、芳静がふいに小さな一枚の写真を出した。おそらくずっとそこに放り込んであったものを急に思い出したようだった。見ると、芳静が20代くらいの、役所の制服を着て赤いネクタイをした証明写真だった。髪は前髪も上げたポニーテール。ものすごい美人だった。それから年月を経た今の彼女も美しいが、若い頃の彼女はまた格別だった。「綺麗だね」というと、芳静は口元だけで笑った。そして何を言うかと思ったら、「わかるでしょう?歳を取るのはあっという間。今が大事。はやく相手を見つけなさい」と言った。 文文はカウンターの脇の椅子に座っていたが、私が帰ると知って泣いてしまった。そんなに一緒にいてあげたわけじゃないのに、文文に泣かれると私もさすがに寂しくなった。彼の隣に座って、その肩を抱いた。「おりこうさん。お母さんを助けて立派な人になるんだよ」というと、文文は涙を拭いて無理に笑って見せた。 乗り合いタクシーが来て、待っていた客が皆乗った。雑貨屋さんも、文房具屋さんも、米屋のおばあさんもみんな出てきて「また帰っておいで」と言った。莫超も王義もみんないつものように冗談を言って笑っているので、最後は寂しい気持にはならなかった。芳静は「また来るんだよ」と言ったきり、外へ出てこなかった。それはとても彼女らしい別れ方だった。車が出発すると、莫超も王義も文文も、みんな見えなくなるまで手を振っていた。 私は、なんとなくいつかまたここへ帰ってくるだろうと思った。
竜泉鎮を出ると、私は吉林省の西にある通化という街へ行くことになっていた。靖宇県から通化へは高速バスでおよそ3時間ほどで行ける。そこで、私は靖宇県へ着いたらまず、そのバスターミナルを探さなければならなかった。 県城について指定の場所で村人たちと一緒に車を降りると、不意に私の腕をつかむものがあった。誰かと思ったら、あろうことかあの龐某氏だった。先ほどの乗り合いの運転手は彼の仲間で、私が村から出る時には彼に連絡が行くようになっていたらしい。 厄介なことになったな、と思ったとたんそれがわかったように彼は「心配するな。ちゃんとバスターミナルへ送って行くから」と言った。確かに、大きなバックパックを背負っていては、バスターミナルを探すのも一苦労だった。彼の“黒車”に乗って、ターミナルへはすぐについた。彼は手際よく通化行きのバスの時間を調べてくれながら、ペットボトルの飲み物をいくつか買ってきて持たせてくれた。もう出発するというとき、彼は「やっぱり、来週の婚礼に出てくれねえか?」ともう一度言った。野暮ったいけど、いいやつだなあと思った。「その婚礼で、もしかしたら、素敵なパートナーが見つかるかもしれないよ」というと、彼はまた、あの自虐的な顔で笑った。そうして、その顔のまま私の乗ったバスを見送ってくれた。 莫超が「東北の男はね~」と言った言葉を思い出す。彼らは、情熱と子どもっぽさが紙一重なんだと思う。そこが不器用と言われるゆえんなのかもしれない。多分、もう彼に会うことはないだろうが、この男の先行きと、東北の人々の生活に良いことがあるように願わずにはいられなかった。
by sayang0522
| 2017-06-21 18:00
| 日中交流
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